マイ・ルーム

PROLOGUE

一人部屋を与えられた時、私は12歳であった。

前には駐車場が広がっており
正面には幼稚園が建っている。
幼稚園の壁はエメラルド・グリーンがかった
オフ・ホワイトで、光は反射し私の部屋を
照らした。北向きとは思えぬ明るさだ。

私は一つの概念として
「部屋から外は戦いの場」
と思っている。
自営業を営む実家であるために
居間はビジネスの場であったし
そこに隣接するキッチン、トイレ
全てが安住の地ではなかった。
風呂をも含めて。

部屋で机に向かっている時
私は自由を得ることができた。
絵を描いている時が幸せだった。

 

マイ・ルーム

 

1997年12月、突如私は部屋で圧迫感に襲われる。
安らぎの場が、焼け野原のように見えた。
「なんだこのダサさは」

服に関してこだわりはあった。
だが、部屋自体はただの空間だった。
部屋をデザインすることなど考えなかったのだ。
おそらくジャズを聴きはじめ
脳が変化したのだろう。

元来コレクター体質の私は細かいもの迄とっていた。
そして整理下手であるため押し入れ、机の中は
カオスの世界であった。
洋服ダンス、机どれも両親が買いそろえた
オールディーズだった。

まず全て捨てようと考えた。
こんなタンスだったら段ボールに入れて山積みに
した方がかっこいい。
だが運ぶ途中で家族の反対にあい挫折する。
そこで、家全体をコントロールし私の部屋を
改造する計画を立てた。

私の家には屋根裏部屋がある。
父が事務所を造ろうと、屋根と部屋との
間にもう一室無理矢理生み出したのだった。
空調設備、机、棚は完備された。
ところが窓も無く、立つこともできない
その部屋で事務仕事等できる訳なはく
父は挫折した。
それ以降そこは開かずの間として
これまたカオスの世界となっていた。
私はまずこの空間に目を付けた。

屋根裏部屋を開拓し、私のストック・ヤードにする。
私の部屋にある家具は空にして、家のどこかに
配置する。私の部屋はシンプルになり
そこからデザインするという明確な目標ができた。
ウォーホールのファクトリーが最初の理想だった。

計画は順調に進み、私は空間を手に入れた。
ベッドはダサい。ライフスタイルにもメスをいれた。
蛍光灯はダサい。
レースのカーテンはダサい。
あらゆるものをデザインする、それに夢中だった。

'98年の夏頃、私の部屋はとりあえずの完成形にいたる。
窓に面した机の横にコンポが続いた。
ちょうどその頃Power Machintosh G3を手に入れた。
椅子に座り「んー。かっこいい」
と思えるようになった。

だが、当時の私は重大な問題に気づいていなかった。
部屋を作品として捉えることの危険を。
その後私は幾多の模様替えを繰り替えることとなる。
「んー。いい」といえるのはせいぜい1週間。
それいこう徐々に気になるものが増えて行く。
一瞬の安堵の後には圧迫感が待っていたのだ。
私はたった一つの安住の地を失っていた。

つづく